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守居神社について

醍醐天皇延喜18年(918年) 此の地に鎮座。素戔鳴大神(すさのおのおおかみ)・賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)を御祭神としております。
社記に天道神・太歳神齢殺神また素戔鳴尊。三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神とも書いてあります。

いづれも淀川流域の守護神として此の地に土居を築き社殿を構えてお祀りされたのが創りで、地名を土居の庄と称し昔は、土居神社と称号されておりました。

府指定有形文化財≫守居神社刀(守居神社)
守居神社刀

刀丈は、焼き幅の広い丁字乱れが特色で、茎(中子)に備中守橘康廣の銘があり、刀匠の一派近江石堂派から江戸時代の寛文年間(1661〜73年)ごろ大阪に出て大阪石堂派の祖となった康廣の代表作の1つに数えられている。
昭和56年(1981年)に 大阪府指定有形文化財に指定された。
守居神社は、延喜18年(918年)、淀川洪水のとき、西南石礫の渕で「我天道神也、我を祀れと振鈴の声で告があった」ので「土を居いて」お祀りしたのが始まりと伝えられ、社名は、守口と土居の各1字を用いて守居と呼称されている。
明治5年(1872年)8月、守口町大字土居字田東、現在の滝井に鎮座の産土神社(素盞嗚尊)を合祀した。
また、明治40年(1907年)10月10日、守口町字猿島、現在の桃町に鎮座の渦神社とも呼ばれた大隅神社(賀茂別雷神)を合祀。
これにより、守口の総氏神として、現社号に改称された。
昭和9年(1934年)9月21日の室戸台風で、社域が荒れたため、氏子崇敬者の寄進を仰ぎ、境内地を拡張し現今の社殿に、造営・営繕が進められた。
昭和16年(1941年)10月、すべての工事が竣工し遷座奉祝祭が盛大に執行された。昭和23年(1948年)6月には奉賛会が結成され、以後、境内整備が進んだ。

文化財として、「守居神社刀一口」がある。刀の中子に「備中守橘康廣」の銘があり、刀匠の一派である近江石堂派の分かれの康廣の作によるもの。
康廣は大坂石堂派の祖で、江戸時代前期の寛文年間(1661年-1673年)大阪で作刀されたとされ刀文は焼幅の広い丁字乱れが特色。府の指定有形文化財。
他に淡路島の民家に百数十年間祀られていた恵比寿人形、狛犬、石灯籠、鳥居献湯大釜、磐座や御神木も祀られている。

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